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第9回 偽りの ある世ならずは ひとかたに たのみやせまし 人の言の葉 [日野富子]

日野富子の座像(京都市上京区 宝鏡寺阿弥陀堂)
日野富子の座像(京都市上京区 宝鏡寺阿弥陀堂

“悪女”はなぜ人の言葉を信じたかったのか

日野富子(1440年~1496年)といえば、“日本三大悪女”にも数えられる人物として有名です。ちなみに日本三大悪女とは、歴史的に古い順に、北条政子日野富子淀君です。彼女は応仁の乱で京都を戦渦に巻き込んだ首謀者としても有名です。

おそらく悪女になった最大の理由は“守銭奴”“銭ゲバ”といわれたからでしょう。室町幕府の第8代将軍・足利義政正室という地位を利用して巨万の富を築きました。同時代の人々の評判も良くなかったようです。

彼女の辞世の句「偽りの ある世ならずは ひとかたに たのみやせまし 人の言の葉」は、偽りの全くない世の中であれば人の言葉を頼みにしなくてもよいかもしれませんが、こういう乱世だからこそ人の言葉を信じたい、という意味です。

悪女が発したこの言葉は、本人の行動とはうらはらで、なぜ?と思ってしまいます。乱世を女性ながらに必死で生き抜いてきた日野富子の心の叫びのようにも聞こえます。



彼女は何が悪女だったのか

日野富子が悪女に挙げられる理由は、いくつかありますが、有名なエピソードは次のようなことです。

自分の夫足利義政の乳⺟であり側室の今参局(いままいりのつぼね)を自害に追い込んでいます。富子は夫との間に子どもを何人か授かっていますが、第一子が生まれたその日に死んだことを今参局の呪いのせいとして流罪にして、今参局は護送途中に自害しました。

富子の子どもですが、最初は女児しか生まれず将軍後継者を諦め、夫である将軍義政の弟義尋を跡継ぎにすることを決めていました。しかしその後に男児が生まれ、そこから熾烈な後継者争いが始まります。これが応仁の乱です。

そして戦争には必ず戦費が必要です。この商機を富子は逃しませんでした。戦争に参加しているあらゆる大名に戦費を貸し付け、それで巨万の富を築いたのです。応仁の乱の後も、関所を設けてそこからも上納金を得ていました。彼女が死んだときの遺産は、今の金額にして60億円とも70億円ともいわれています。

また、このころには夫である将軍義政との夫婦関係も冷え切っており、こともあろうに後⼟御⾨天皇(ごつちみかどてんのう)との熱愛疑惑までもたらします。天皇との不倫など今の時代では考えようもありません。

民衆が戦争の惨禍で苦しんでいた時にぼろ儲けをし、天皇との不倫の噂まであったわけですから、評判も悪くなるわけです。しかし、悪い面だけみていては人物像のすべてはみれません。

時の関白に多額の寄付をして、関白一条兼良から源氏物語の講義を受けています。学問に熱心な面も垣間見えます。また、戦乱によって御所の修復が必要になった時も多額の寄進をしています。



行動力と胆力

日野富子の生涯を追いかけていくとき、やはりその行動力と胆力には目を見張るものがあります。今でこそ女性の社会進出の必要性は声を大にして言われますが、およそ550年前にすでに彼女は十分すぎるほど社会進出をしていました。

いつの時代も行動力、そしてその裏付けとなる胆力が必要なことを思い知らされます。たしかに日野富子ほどの悪評は、今の時代の経営者にはリスクですが、それにしても、社長やリーダーには、彼女の行動力と胆力を参考にするメリットは多いと思います。


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