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第6回 重罪は甘んじて我等一人に受候決意 [井伊直弼]

幕末の大動乱をさばいた宰相

幕末の幕政を率いたことで有名な井伊直弼(いい・なおすけ)の言葉です。1858年、井伊直弼は諸藩の根強い反対を押し切って日米修好通商条約を締結しました。苦渋の決断ながら鎖国から開国に政策転換を図ったのです。

この言葉は、その条約締結を決断した夜のことで、井伊直弼の家臣が主君たる直弼の身を案じて条約締結を考え直してはどうかと進言したときに、直弼が家臣に返したものです。

「この度の重罪は私一人が甘んじて受ける決意だ。悠長なことを言っていられない」というような意味です。西洋列強が押し寄せ、お隣の清国はイギリスにアヘン戦争で大敗を喫していた時代で、日本外交が風雲急を告げ、待ったなしの状況でした。

そのような中でのたった一人での決断だったのです。よくご存じのように、その後1860年桜田門外の変で、井伊直弼は暗殺されますが、もうこのときすでに本人の中ではそうした運命も受け入れていたのかもしれません。

井伊直弼肖像画
井伊直弼肖像画


損得よりも責任

井伊直弼大老という当時の幕府では政治の最高職にあり、名実ともに幕政を握っていました。井伊家は彦根藩(今の滋賀県)を治める大名で、徳川譜代筆頭でもありました。

しかし、ご承知のように、ペリー率いる黒船来航など、諸外国が開国を迫って日本に押し寄せる時代、大老は権力はあってもそれ以上に重圧のかかる損な役回りといった方が適切かもしれません。

今でこそ日米関係は緊密で、経済の相互依存は世界経済の要にもなっています。しかし、その端緒はこの井伊直弼の条約締結ともいえるでしょう。

井伊直弼というと弾圧と暗殺されたことがクローズアップされ悪人のイメージがありますが、今の時代に照らしてみれば、格式もある出身で、わざわざ苦労せずとも世渡りすれば上手く生きていく道があったにもかかわらず、ここまでの重圧に耐えながら、責任を優先する政治家としての矜持を感じずにはいられません。

今の時代にそのような政治家がいるのでしょうか。



リーダーの責任の取り方

今の時代、コンプライアンス意識も高まり、企業や組織で何かあったときの責任の取り方は非常に重要です。この井伊直弼の身の処し方は時代とともに語り継がれるでしょう。

組織において人を動かす要素の一つとして、リーダーがいかに責任を取るか、その身の処し方がチーム全体の士気にもかかわることは、昔から多くの武将や軍師も気づいていました。

織田信長も信賞必罰には律儀であったといわれていますし、三国志で有名な諸葛亮孔明も「泣いて馬謖を斬る」という信賞必罰の教訓を残しています。

もちろん今の時代暗殺などは物騒ですが、そこまでのことでなくとも、リーダーはやはり自ら責任を取る、あるいはクレーム対応や謝罪など部下が嫌がる仕事を率先して実行する姿勢を見せることこそ重要な役割です。

リーダーの責任、言葉以上に重いものがあります。


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